ドライオーガズム研究部
何人斬りできるかな♪なんて、黒歴史

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何人斬りできるかな♪なんて、黒歴史

2026年4月21日 · 早穂

最近、昔の夢をよく見る。

色んな男の腕の中で、泣きそうな気持ちで鳴いている自分の夢を。

数年前、私はセックス依存に陥っていた。精神的に不安定で、寂しくなると居ても立ってもいられなくなり、抱いてくれる人を探しまくっていた。経験人数は40人ほど。交際相手は7人だった。

今は子宝にも恵まれ、夫と平和に暮らしている。でもあの時期のことは、ちゃんと向き合っておきたい。

セックス依存の構造:なぜやめられなかったのか

コミュニティサイトのプロフィールに谷間が見える画像を貼り、「○○在住!暇な人遊んで〜」と書いて待機する。10分もしないうちに30件を超えるメッセージが届く。その中から好みの相手を選んで会う——週4日、代わる代わる違う相手と体を重ねていた。

やめられなかった理由を、今なら分析できる。

「性的強迫性(sexual compulsivity)」という概念がある。これはセックス依存の学術的な呼称で、Kalichman & Rompa(1995年)の研究で定義された。性的強迫性は「性的な思考や行動を抑制することへの困難さ」と定義され、不安・抑うつ・孤独感などの不快な感情を「性行為」で一時的に軽減しようとするパターンが特徴だ。

精神的に不安定で、寂しくなると「居ても立ってもいられなくなる」——これは典型的な性的強迫性のトリガーパターンだ。セックスによってオキシトシン(「愛着ホルモン」とも呼ばれる)が一時的に放出され、孤独感が軽減される。しかしその効果は一時的で、また同じ孤独感が戻ってくる。だから繰り返す。

谷間の写真を使って相手を呼び寄せる行為も、神経科学的に言えば「オペラント条件付け」の典型だ。行動(画像を貼る)→ 結果(メッセージが来る)→ 報酬(注目・接触)という強化スケジュールが形成されると、この行動は強迫的になる。

「賢者タイム」と感情の落差

行為後に「賢者タイム」がある——俗に言うポスト・オーガズム状態だ。

神経科学的には、オーガズム後にはドーパミンが急激に低下し、代わりにプロラクチンが分泌される。プロラクチンはドーパミンと拮抗する(ドーパミンを抑制する)ホルモンで、性欲の低下と「引いた感覚」を生む。

行為後に「すり寄ってくる相手を煩わしく感じた」——これはプロラクチンが生む「離脱状態」の感覚だ。オーガズム前の高揚から、オーガズム後の無感覚への急落。その状態でのピロートークは、確かに苦痛に感じられる。

「ピロートークは恋人にでもやってなさいよ」と内心思いながら、相手のすり寄りを受け流していた。あの冷めた感覚は、感情的な距離を保ちながら体だけ使うために無意識に作り出した「保護壁」でもあったと思う。

性的強迫性と賢者タイムの神経科学

「体以上許す気になれない」の正体

たくさんの人と関わったのに、恋愛に至ることは稀だった。「体以上許す気になれなかった」から。

「俺の女」という顔をする男が嫌いだった。行為中に「また会いたい」「付き合ってほしい」とつぶやかれると、うつろな気持ちになった。

この心理には「回避型愛着(avoidant attachment)」のパターンが見られる。

愛着理論(Bowlby, 1969)によれば、幼少期の親子関係に基づいて「愛着スタイル」が形成される。回避型愛着を持つ人は、親密な関係を求めながらも、親密さが増すにつれて距離を取ろうとする。身体的な接触は許容できるが、感情的な接触には強い防衛反応が起きる。

「体は許すが心は許さない」という状態は、回避型愛着の典型的な性的パターンだ。セックスを「感情的な接近なしに安全に他者に接触する方法」として使うことで、孤独感を一時的に解消しながら、深い傷つきから自分を守っていた。

「ちゃんとした出会いで甘酸っぱく始まってほしい」という矛盾

恋愛というのはちゃんとした出会いでもっと甘酸っぱく始まってほしい——そう思いながら、コミュニティサイトで会った相手とセックスし続けていた。

この矛盾は、行動が感情的ニーズと一致していないことを示している。

「甘酸っぱい恋愛を求める気持ち」と「すぐにセックスで孤独感を埋めたい衝動」は、脳の異なる回路が担っている。長期的な愛着を求める回路(前頭前野)と、即時的な報酬を求める回路(辺縁系)のせめぎ合い——前者が後者に負け続けていた。

この状態からの脱出は「何をどう変えたか」という意志の問題ではなく、「何が変化の機会を作ったか」という環境の問題が大きい。

転換点:ドライブだけの相手

ある日、コミュニティサイトでずっと話してドライブに行くだけの相手と知り合った。

それだけの関係。でもそれが転換点になった。

「私、体以外でも交流できるじゃないか」と気づいた瞬間があった。

セックスなしで繋がれた体験が、「感情的な接触」の可能性を再発見させた。回避型愛着のパターンにおいて、「ゆっくりした接近」は感情的な防衛を迂回する有効な方法だということが後から分かった——圧力なく、期待なく、ただそこにいる関係性が、心の防壁を少しずつ解いていった。

その後も一度失敗した(友人を探して会ったのにやってしまった)。「変われないんだ、一生こうなんだ」と絶望した。泣きながら相談した相手が、今の夫だ。

夫との出会いが変えたもの

夫は、私の過去を笑い話にしてくれた。

経験人数40人という話を聞いて、引かなかった。それどころか「40人の相手のうち避妊具をつけてくれたのが3人しかいない」という話にも、淡々と付き合ってくれた(それは問題だとも言ってくれたが)。

知り合い方は他と一緒だったのに、初対面で触れてこなかった。しかも童貞だった。

これが「安全基地(secure base)」の提供だと後から気づいた。愛着理論における安全基地とは、そこにいるだけで安心できる存在のこと。夫は体ではなく、ただそこにいることで安心を提供してくれた。

今まで感情的な接触を回避し続けた私が、初めて「信頼して近づいていった」体験だったのだと思う。

愛着スタイルと性的パターンの関係

セックス依存から抜け出るために何が効果的か

当時の私は「やめよう」という意志だけでは変われなかった。何が変化を可能にしたのかを振り返ると、いくつかの要素が見えてくる。

「孤独感を埋める別の方法の発見」が最大の転換点だった

ドライブだけで過ごした相手との体験——セックスなしでも人と繋がれるという体験が、行動パターンの更新につながった。性的強迫行動は「感情の痛みを緩和する方法」として固定化するため、同じ効果を持つ別の行動が見つかるまでは置き換えることができない。

Carnes(1983年)が提唱した性的依存症の回復モデルでは、性的行動そのものを問題視するより、「その行動が何の感情的ニーズを満たしていたか」を明らかにし、代替行動を見つけることの方が効果的だとされている。

失敗しても「一生こうだ」という結論を出さないこと

一度失敗した——友人を探して会ったのにまたやってしまった——あの瞬間、「変われないんだ」という絶望があった。でも一回の失敗が回復の終わりを意味するわけではない。

行動変容研究では「再燃(relapse)」は変化プロセスの一部として位置づけられており、失敗を経験することが長期的な変化に必要なプロセスの一つであることが示されている(Prochaska & DiClemente, 1983)。「また失敗した」ではなく「また情報が得られた」という見方が、回復を支える。

安全基地となれる人を一人見つけること

夫が果たした役割は「過去を受け入れてくれた人」だった。過去の行動を笑い話にしてくれた——批判でも肯定でもなく、ただそのまま受け取ってくれた。この体験が、安全な感情的接続の初体験になった。

あの時期を「黒歴史」と呼ぶことについて

「何人斬りできるかな」と思っていた時期は、確かに黒歴史だ。

でも今振り返ると、あの時期の私はただ孤独だった。孤独感を性的な接触で埋めようとして、でもそれでは埋まらなくて、繰り返した。避妊具をつけてくれたのが3人だけで性病も堕胎経験もなかったのは、本当に運が良かっただけだ。

Carnes(1983年)の「性的依存症」の研究では、性的強迫行動は自尊心の傷つきや感情調整の困難と深く結びついているとされている。問題は「セックスが好きすぎること」ではなく、「感情の痛みを和らげる健全な方法を持てていなかったこと」だった。

「誇れることではない」と書いたけど、「なかったことにしたい」ともほとんど思っていない。あの40人との体験は、確かに立派な人生経験だった。一人ひとりの人生の断片が見えた。潔癖な人、虐待を受けた人、父親を亡くした人、浮気された人——エッチの最中でもその人の人生の傷が透けて見えた。

その観察眼は、今の夫との関係でも、育児でも、仕事でも、どこかで生きていると思う。

誰かにとってこの話が「こういう時期があった人間も、ちゃんと着地できる」という証拠になれば、と思って書いた。

人生はまだまだ捨てたもんじゃない——本当にそう思っている。

「経験人数」というカウントの意味を問い直す

40人という数字。当時は「何人斬り」というゲームのようなカウントだった。

今思うのは、その数字は「孤独の深さ」のカウンターだったということだ。一人と深く繋がることができなかったから、数で埋めようとした。でも数を重ねるほど、孤独は濃くなっていった——なぜなら、同じ行動を繰り返しても求めているものは得られなかったから。

「経験人数の多さ」に自信や誇りを見出す文化がある一方、その裏に「感情的な繋がりの少なさ」が隠れているケースも多い。しょうこのこの話がリアルに感じられる人がいたとしたら、それは「数の問題ではなく、満足の問題」に気づいている人かもしれない。

性的な満足度の研究(Sprecher & Cate, 2004)では、「性的パートナーの数」と「性的満足度」の間には正の相関がないどころか、多くのケースで無相関か負の相関があることが示されている。満足はパートナーの数から来ない。

これは「経験が少ない方が良い」という道徳論を言いたいのではない。「何を求めてその行動をしていたか」という問いが重要だ、ということを言いたい。

参考文献

  • Kalichman, S. C., & Rompa, D. (1995). "Sexual sensation seeking and sexual compulsivity scales." Journal of Personality Assessment, 65(3), 586-601.
  • Bowlby, J. (1969). Attachment and Loss, Vol. 1: Attachment. Basic Books.
  • Carnes, P. (1983). Out of the Shadows: Understanding Sexual Addiction. CompCare Publications.

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