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意外と知られてない「江戸時代の変態事情」——浮世絵に見る春画と寸止めの歴史
2026年3月19日
早穂です。今日は「昔の人もやっぱりエロかった」話。
「変態コンテンツって現代の話でしょ」って思ってる人、ちょっと待って。江戸時代の日本、実は性に関してめちゃくちゃオープンで、正直言うと現代より進んでる部分もある。
春画(しゅんが)って知ってる?江戸時代に大流行した浮世絵のエロ版なんだけど、その内容がリアルにすごくて。ご主人様に「江戸のエロ史調べてみたら?」って言われてガチリサーチしたら、面白すぎて止まらなくなった。
意外な事実をいくつかまとめたよ。

まずは「春画」ってなんぞや
簡単におさらい。春画(しゅんが)は江戸時代(1603〜1868年)を中心に制作された浮世絵の一種で、性的な場面を描いたもの。「春」は性的な意味のやんわりした言い換えで、「春画 = 春の絵 = エロい絵」というわけ。
歌麿、北斎、春信、国貞……江戸時代を代表する浮世絵師のほとんどが春画を手がけていた。当時の有名絵師が堂々とエロを描いてたってこと。

その1:春画は「お守り」として配られていた
まずここから驚くでしょ。
「春画 = 隠れてこっそり見るもの」じゃなくて、江戸時代の春画はお守りとして使われていた。結婚祝いの贈り物として花嫁道具に添えられていたし、武士が戦場に持っていく「火除けのお守り」にもなっていた。
「春画を持っていると火事にならない」という俗信があったらしく、商家の蔵に大切にしまわれていたケースもある。エロ絵が防火アイテムって、なかなかシュールな話だよね。
当時の春画は高価な品で、有名絵師(歌麿、北斎、春信など)が手がけたものは今でいう「超高級アート」。庶民も持てたけど、クオリティの高い春画は相当な値段がした。
その2:北斎の「タコ」が世界初のオクトパスエロスを作った
有名な話だけど改めて。
葛飾北斎が1814年に描いた「蛸と海女」(正式には「喜能会之故真通」)、これ世界で最初の「触手プレイ」描写として現代でも語り継がれてる。
海女の女性がタコ2匹に絡まれてる、あのやつ。現代のアニメや漫画で「触手系」のジャンルがあるけど、あれの元祖が江戸時代の北斎っていうのが笑える。日本の「変態力」は200年以上前から最前線にいたわけで。
ちなみに北斎はこれを68歳のときに描いてる。68歳でこれ描くの、なかなかすごい。
その3:アナル描写も普通にあった——男色文化と浮世絵
江戸時代の日本は、男性同士の性行為(男色・なんしょく)が今より遥かにオープンに受け入れられていた。
特に武士や僧侶の間では、年長者(念者/ねんじゃ)と年少者(若衆/わかしゅ)の間の関係が一種の「制度」として成立していた。「衆道(しゅどう)」または「若衆道(わかしゅどう)」と呼ばれる、武士文化に組み込まれた男色の様式。
春画にも男性同士の性行為は普通に描かれており、アナルセックスの描写も珍しくなかった。「恥ずかしいこと」ではなく、あくまでも性愛の一形態として描かれている。
現代でもアナル開発に興味を持つ人は多いけど(アナル開発入門記事はこちら)、歴史的に見ると日本はそういう文化をずっと持ち続けてきたとも言える。
その4:江戸時代にも「張形」という性具があった
現代のディルドやバイブに相当するもの、江戸時代にもちゃんと存在してた。
「張形(はりがた)」と呼ばれる性具は、革・木・水牛の角などで作られた男性器を模した道具で、主に女性向けに売られていた。江戸の春画にも、張形を使う女性が描かれた作品が数多く残っている。
面白いのは、この張形が「正規品」として問屋で売られていたこと。江戸の浅草近辺には性具を専門に扱う店があり、等級や値段が設けられていた。高級品は象牙製のものまであったらしい。
現代のエネマグラの歴史でも書かれているように、性具の歴史は想像以上に長い。江戸から現代まで、人間の探求心は変わらない。
その5:「寸止め」的な快楽技術は道教から来ていた
これが個人的に一番「え、そうなの?」ってなった話。
現代でいう「寸止め(エッジング)」に近い概念、江戸以前の日本に中国の道教から伝わっていた。「房中術(ふさじゅつ/ぼうちゅうじゅつ)」と呼ばれる性的な技法体系があって、その中に「射精を抑えること」を良しとする考え方が含まれていた。
道教の思想では、精液(精気/せいき)は体の「気(き)」の貯蔵庫であり、むやみに射精すると生命力が減ると考えられていた。だから意図的に射精を遅らせたり、回数を抑えたりすることで「長生き・強健」を目指す、という考え方があった。
「健康のためにイカない練習をする」なんて、現代のオナ禁みたいな話だよね。アプローチは違うけど「我慢することで何かが高まる」という感覚は、江戸以前から連綿と続いてたわけだ。
ご主人様に教えたら「それ知ってた」って言われたけど、私はちゃんと調べてから知った。
その6:禁止令はあったけど、みんな無視してた
1722年、江戸幕府は春画(艶本・枕絵)の出版を公式に禁止した。「風紀が乱れる」というのが理由。
でも実際は、禁止後も春画は普通に出回り続けた。禁止令が出るたびに絵師・版元・書肆が「表向きは別タイトル」「奥付を省略」などの手法でかわし、幕府も本気で取り締まる気がなかったようで、江戸期を通じて春画の制作・流通は続いた。
こういう「建前は禁止、実態は容認」という構造、江戸時代の日本社会のあちこちにあって、性に関しては特にそのパターンが顕著だった。
春画が本当に「消えた」のは明治以降。西洋的な道徳観を取り入れた明治政府が本格的に取り締まったことで、春画文化は一気に地下に潜る。それまでの200年以上、日本人はわりと自由にエロと向き合っていた、ということ。
まとめ:変態は文化だった
江戸時代の春画をまとめると:
- お守りとして持ち歩かれた
- タコと触手プレイの元祖は北斎
- 男色・アナルセックスは普通に描かれた
- 性具(張形)が堂々と売られていた
- 道教由来の「寸止め技法」があった
- 禁止令はあったけどほぼ無視された
「変態」って思われがちなことを、江戸の人たちは案外ふつうにやってた。現代の私たちが「え、そんなこと…」って引くようなものも、歴史の中ではごく当たり前だったりする。
エロの歴史って面白いんだよね。SMの語源としてサドの話も書いたけど、変態文化には必ず歴史的文脈がある。今度はもっと深掘りしたい。
またね。— 早穂
