令嬢メイド-特別指導- 第①話

[小説]短編

「何してるの、早く拾いなさい!」

その言葉で、飯塚綾音(いいづかあやね)は我に返った。

テーブルの席に連なっている人逹が、不愉快そうな表情をこちらに向けている。

「…も、申し訳ありません。すぐに片付けます」

慌てて頭を下げ、綾音は屈んだ。

光沢のあるペルシャ絨毯に、陶器の欠片とそのうえに載せられていたお菓子が散らばっている。

綾音は急ぎ、それらを拾い集め、トレーに乗せた。

もう一人のメイドが自分と同じように、陶器の欠片とお菓子を集めている。

名前は知らないが、顔は知っている。

ショートカットで丸顔の女子。自分と同じ年齢、17、18歳ぐらいだと思われた。

「申し訳ありません。このような失態を……」

テーブルの上では、この家の当主、多賀洋介が謝罪の言葉を述べている。

「いえいえ、失敗は誰にもありますよ」

「さすがに現大臣の秘書官ともなりますと、お心がお広い……」

「またそのような事を……。
 多賀様には、我々の方こそお世話になっています」

そんな会話を聞いて、綾音は震え上がる。それは現大臣の秘書官という相手にだけでは無い。

綾音の恐怖は、すぐに現実のものとなる。

ノックする音がして、ドアが開いた。

「失礼します」

聞き慣れた、冷たい感じのする声。

顔を上げると、メイド総務長の牧村令香(まきむられいか)が立っている。

牧村は丈の長い紫のドレスを着用し、白いショールを掛けていた。

「さあ、早く行きなさい。
片付けの方は、もうそれぐらいでいいわ」

テーブルの方に軽く会釈してから、綾音にそう言う。

にこやかに笑っているものの、獣が獲物を追いつめたような鋭い目で自分を睨んでいる。

「は、はい。申し訳ありませんでした」

背筋の凍るような思いで、立ち上がり、部屋から出た。

 

綾音が牧村令香に呼ばれたのは、その日の夜だった。

腕時計を見ると、0時を少し回っている。

明日は、朝の6時には起きなければならない。今日の失敗の事で呼ばれたのは判っているが、説教なら、明日の空き時間にでも回して欲しい気持ちだった。

「はあ……」

総務長室の前で、また溜め息をつく。

微笑みながら自分を睨んでいたあの瞳が、綾音をドアの前で躊躇わせる。

メイド総務長、牧村令香。この屋敷内では第二婦人と呼ばれている女性だった。

当主の本妻である雪子婦人は身体が弱く、二人目の子供が生まれてからは、ほとんど自室から出てこない。

事実、綾音はここで働くようになって一週間ほど経っているが、雪子婦人の顔をまだ見ていなかった。

その雪子婦人の代わりをしているのが、牧村令香らしい。

今日も部屋に現れた時、メイド総務長というよりは、婦人のような格好をしていた。

牧村がどんな人物であれ、ここにいつまでも突っ立ってはいられない。

上司である牧村に0時に、部屋に来るように言われているのだから……。

綾音は勇気を絞り、ドアを叩いた。

「どうぞ、開いていますよ」

「は、はい。失礼します」

ドアを開け、部屋の中へと足を踏み入れる。

ほんのりと甘い、香水の匂いが鼻をかすめる。それは嫌味のない、空気に溶け込んでいるような自然なものに感じられた。

メイドらしく両手を揃えてから一礼し、顔を上げる。

黒いレースのついたドレスを着た牧村令香が、机に片手を掛けて立っていた。

背丈が170cm以上あり、細身の牧村は、同じ女である綾音でもうっとりしてまう程、美しい女性だった。28才という年齢も、それを後押ししている。

その瞳を見た時、綾音は自分が呼ばれた理由を思い出した。

「五分の遅刻ね」

「も、申し訳ありません」

「まあ、いいわ。それより、どうして私に呼び出されたのか、理由は判ってるわね?」

「は、はい。今日、大事なお客様の前で……」

うつむき、声が小さくなる綾音。

自然と身体が震えだし、まともに牧村の顔を見る事が出来なかった。

「あなた…飯塚綾音さんはここにきてどれぐらいかしら?」

「い、一週間になります」

「そう。だったら、そろそろお仕事にも慣れて欲しいわね?」

「……」 

すぐ前に牧村が立つ。

「飯塚さん、人と話しをする時は、顔を上げなさい」

顎を下から押し上げられる。

「は、はい。申し訳ありません……」

慌てて、そう言った。

牧村に間近で睨まれた綾音は、恐怖で気を失いそうになった。

「あなたのお父さん、多賀家が経営するグループ会社に所属、会社の社長さんなのでしょ?」

顎を離し、牧村が少し離れた。

「は、はい」

今度は顔を上げたまま、返事をした。

「それじゃあ、あなたがどうしてここにメイドに出されたかは、わかっているわよね?」

「……はい」

綾音はそう返事するしかなかった。

綾音の父親は、資産家である多賀家が持つグループ会社の一つの会社を経営していた。

会社を経営しているとはいっても、親会社とそのグループ会社では、歴然とした格差が存在する。

「あなた、お家ではお嬢様だったのね……」

納得したように、牧村は頷く。

グループ会社の経営者が年頃の娘を、親会社に預け、会社としての忠誠心を示すことは、2030年の今となっては当たり前となっていた。

表面上の男女平等をうたってはいるはいるものの、綾音のように裕福な家の出でありながら、同じような理由で他の家のメイドをしている同級生もたくさんいる。

綾音も中高一貫の、いわゆるお嬢様学校に通っているが、高校生になると、他の家でメイドのアルバイトを始めるという子の話を耳にするようになった。

そして二年生になると、ついに綾音も父親の命令によって、多賀家でメイドのアルバイトをすることになったのである。

そんなお嬢様でありながら、家の問題で他の家へメイドになることを令嬢メイドと呼ばれていた。

令嬢メイドになるメリットも存在する。

名家のメイドをするということは、礼儀作法なども一流であり、徹底的にたたき込まれるからである。

「……飯塚さん。あなたが割ったお菓子を入れていた陶器のお皿、いくらすると思う?」

「えっ? し、知りませんけど……」

「ああいう物は、一つだけではなく、セットになっている事はご存知よね?」

「……」

血の気が、引いていくような感覚。

自分で見た限りでも、かなり高価な物である事は予想出来る代物だった。

「あれは人間国宝であられる陶芸家の先生に、特別多賀家の為にあつらえて頂いた物なの。二十四枚で一セット。値段にして、二千万円はする物なのよ?」

値段を耳にして、綾音は目眩がしそうになった。

「も、申し訳ありません! 今後は二度とこのような事は……」

深々と頭を下げる綾音。今の綾音には、それしか方法が無い。

「謝ればいいというものではないのよ、飯塚さん」

「でも…では、どうしたら……」

視線を逸らし、俯く。

「そうねえ、ちょっとついて来なさい」

そう言うと、牧村が綾音の横を通り抜けた。

ドアを開ける。

「えっ?」

「いいから、来なさい」

「はい……」

綾音に何かを言う権利は、無かった。

 

牧村についていくと、離れの屋敷へと入った。

そしてエレベーターに乗り、4階で止まる。

ドアが開く。

響いてくる女性の声。

「……!?」

その場で、綾音は凍りつく。

部屋の中から聞こえてくる女性の声は、明らかにただの声ではなかった……。

 

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