こんにちは、のぶひこです。
前に、かなり年上のお姉さんに、脚フェチと匂いフェチにされ、電車の中でいたずらされた経験をお話させていただきました。
電車の中でのいたずらは、お姉さんからしたら、ちょっとからかうぐらいの気持ちだったと思います。
でも、さんざんお姉さんの脚や匂いを仕込まれていた僕は、まだ若くて体が極端に敏感だったこともあり、それだけでオーガズムに達してしまったのでした。
その時のお姉さんの反応はよく覚えています。まさか僕がオーガズムに達してしまうとは思っていなかったのか、最初にちょっと驚いたものの、その直後、いじわるそうにクスクスと笑ったのです。
お姉さんは、電車の中でパンツの中を汚してしまい、うつむいてこわばっている僕を見て、心配するどころか、意地悪そうに笑ったのです。
この時僕は、お姉さんが僕をいじめる事に喜びを覚えている事を理解しました。
そして僕の方も、お姉さんにクスクスと笑われているというのに、その笑い声をきいてゾクゾクと感じてしまったのです。
お姉さんにとって、電車での出来事がすごくツボに入ったのか、それ以来、公共の場で僕にいたずらする事が多くなったのでした。
今回は、お姉さんとの電車での出来事を題材に、マゾヒスティックな快感について書いてみたいと思います。
倒錯した快感にどうやって墜ちていったか
このサイトの趣旨に合わせ、フェチに関する話ばかりを書いているもので、お姉さんと僕の関係がSとMのように思えてしまうかも知れませんが、実際には最初からそうであったわけではありません。
お姉さんとの関係の場合、僕が若かったので年上のお姉さんにリードされる傾向はあったものの、最初は普通にエッチをする関係でした。
僕は大人の女性とのセックスに夢中になり、お姉さんはかなり若い男の子との性行に興奮していました。
それが、セックスを何度もするうちに、お姉さんが、快感のあまり達してしまう男の子を見ると特に興奮するようになり、それがエスカレートして、僕が「我慢しているのに耐えきれずイってしまう」状況を、お姉さん自身が作るようになっていったのだと思います。
僕の方は、頭では恥ずかしいとかダメだと考えているのに、体の方は快感に抗えなくなっていったのでした。それは、とても倒錯的なものでした。
僕も、SMで鞭で打たれて感じるとか、露出で人前で裸をさらして感じるとか、そういうのものはまったく理解が出来ませんでした。
ただ、ある時、お姉さんにこんな事をされた事があります。僕が「イっちゃいけない」と思いながらセックスをしている時に、お姉さんが「ほら、出しちゃいなさい」といって、軽く睾丸を握ってきたことがありました。
「あっ」となりつつ我慢したものの、次は「出しなさい」と命令されて強く握られ、その瞬間に我慢できずにイってしまったのです。
心は「ダメ」、体は「いい」というギリギリのバランスで我慢できていたものが、他人に強制される事で崩れてしまったのです。
その最後のひと押しをされてしまうのは、罪悪感のようなものを伴う独特の混乱するような快感でした。
このように、心の「ダメ」を、体の「いい」に上回らされてしまう罪悪感と快感の同居したものが、僕が覚えてしまった倒錯的な快感でした。
まだ若いのにお姉さんとエッチな事をしていていいんだろうかという罪悪感があり、僕は誘惑や射精を我慢していました。でも、ずっと我慢するから、イった時の絶頂感はすごかったのです。
これを逆手に取られて、「我慢しないといけない」「こんな事恥ずかしい」とがまんを強要されて快感を持続させられ、最後にはあり得ないぐらいに高まってしまった快感を爆発させられてしまう。
これが、僕がお姉さんにされて墜ちていってしまった、倒錯した快感の構造でした。
マゾヒズムと露出の関係
僕にとっての倒錯的な快感というのはこんな感じだったので、露出といっても、人に見せると快感とか、人前で裸になりたいとか、そういうものではありませんでした。このあたりは、もしかすると他の露出性癖の人とは感覚が違うかもしれませんね。マゾヒズム的なのです。
電車の中でお姉さんのいたずらに異様に興奮してしまったのは、脚フェチや匂いフェチのためだけではなかったと思います。「声を出して逃げたりしたら見つかってしまう」からエッチを拒否できなくされた事や、「こんな所を人に見つかったら恥ずかしい」という状況で、我慢を強要され快感を持続させられたことも理由だったのではないかと思います。
つまり、とても逆説的なのですが、見られたいからではなく、見られたくないからなのです。
僕が必死に耐えているのに、小刻みに震えていってしまうのを見て、お姉さんは加虐の快感を感じたようでした。
僕も、露出をからめて被虐的な快感を覚えてしまったのです。
「若い男の子が我慢しきれずに射精してしまう」ことに快感を覚えていたお姉さんだったので、元から多少はSっぽい要素もあったと思います。
それが、はっきりと加虐的な快感に結びついたのが、電車での出来事だったのではないかと思います。それは、僕も同じでした。
いきなり「鞭で打たれて喜ぶ」「蹴られて喜ぶ」みたいなものは、普通は理解できないと思います。僕も理解できませんでしたし。
でも、少なくとも僕のなかでのマゾの構造というのは、このようにして形成されていったのでした。
そしてこういう形であれば、ノーマルな人でもマゾに堕ちてしまうと思うので、相手をマゾに落としたい人には参考になるかもしれませんね。
それでは、また!
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