こんばんはー!リサーチ担当のクミです!
年末なので肝臓しか仕事していません。
さすがに話すのに疲れて
ぼっちで飲んでいたらこんな質問を受けましたよ(・∀・)
イケメン風 「ねーねーS?M?どっち??」
わたし 「どっちかっていえばMか?」
イケメン風 「おれ、S!!俺たち相性いいね!」
無茶振りすぎる!!!
でも何も言えずに帰ってきてしまったので
今日は、サドの語源「マルキ・ド・サド」についてリサーチします・・・。
本当のサドを知るのだーーーー!!
■マルキ・ド・サドって誰?
【引用】Wikipedia
正式な名は、ドナスィヤン・アルフォンス・フランソワ・ド・サド。
フランス・パリの貴族、小説家です。
サドの語源になる位ですから普通の小説家ではありません。
サド侯爵の作品は暴力的でエロいです。
そして、その作風は「何にも制約をうけない究極の自由だ」と表現されることがあります。
サド侯爵が生きた1740年~1814年はフランス革命期。
自由が重んじられた時代だったことがサド侯爵の作風に影響を与えたかもしれません。
それ以前に、サド侯爵がだれよりも暴力的でエロかった!というのが真実な気もしますが。
■サド侯爵の作品
サド侯爵の代表的な作品はこの3作品。
●「ソドム百二十日あるいは淫蕩学校」(1985年著)
→サド侯爵の最初の長編作品。未完。
●「ジュスティーヌあるいは美徳の不幸」(1787年出版)
→「新ジュスティーヌあるいは美徳の不幸」と合わせて、ジュスティーヌシリーズと呼ばれることがある。
●「ジュリエット物語あるいは悪徳の栄え」(1801年出版)
→ジュスティーヌの妹「ジュリエット」の物語。
当時の表紙&挿絵が残っているので見てみますかっ。
「ジュスティーヌあるいは美徳の不幸」の表紙。
フランス文学っぽいですね。
【引用】サドマニア
続いて「ジュスティーヌあるいは美徳の不幸」の挿絵。1900年出版バージョン。
【引用】サドマニア
こーいうシーン最近のAVでもありますよね?
現代でも十分に通用するモノを作っていたって!
サド侯爵すげえ。
続いて「ジュリエット物語あるいは悪徳の栄え」の挿絵。1797年出版バージョン。
【引用】サドマニア
動物が多いですね。
こっちのが暴力的なイメージ。
「ジュリエット物語あるいは悪徳の栄え」の最後はこう終わります。
・・・幼い娘が自分の愛人に犯され、アヌスまで陵辱される。子供はやがて火の中に投げ込まれて焼け死ぬ。それを平然と眺めていた母親が、最高の快楽を叫んでマスタベ―ションする。
うん。すごい。真似はできない。
■サド侯爵がおこしたスキャンダル
サド侯爵は23歳の時に結婚したのですが
その結婚した年、あるスキャンダルをおこします。
●ジャンヌテスタル事件
売春婦としてやってきた女性にハードプレイ!(内容ははっきりしてない)
売春婦に訴えられます。
プレイ内容がすごすぎて訴えられるって・・・。
2週間ほど監獄に収容されますが、無事に釈放。
●アルクイユ事件
釈放されて、順風満帆に過ごしていたサド侯爵でしたが
その5年後。またスキャンダル。
サド侯爵がある乞食の女性を拾ったのですが
別荘でまたハードプレイ。鞭打&監禁。
女性は窓から逃げ出し、サド侯爵を訴えました。
その後、女性は2400リーヴル(480万円くらい)の慰謝料をGET!!
サド侯爵はまた監獄に収容。半年後に釈放。
●マルセイユ事件
さらに4年後、またスキャンダル!
娼館で乱交し、娼婦に媚薬&アナルファック!
当時アナルファックは重罪だったので、死刑判決。
再び監獄に収容されますが、翌年に脱走。
4年後に逮捕されます。
その8年後(44歳)最初の作品「ソドム百二十日あるいは淫蕩学校」をわずか37日間で完成させます。
牢獄に収容されながらも
牢獄の窓から民衆に演説したりしていて、民衆から大変人気があったようです。
ただ、偉い方からは大変嫌われていて
あのナポレオンを度々激怒させていたそうです。
そんな中、「ジュスティーヌあるいは美徳の不幸」も匿名で出版されました。
■マルキ・ド・サドとは何だったのか?
暴力的な作品を多く残しているサド侯爵なので
てっきり絞殺&アナルファック!とかで逮捕かと思いきや
(個人的には)ハードプレイすぎて逮捕!というパターンが多かった気がします。
思想的が新しすぎた・・・というかハードプレイを先取りすぎたことが
逮捕の原因だったんでしょうか・・・。あのナポレオンを怒らすぐらいだしw
最後に、サド侯爵の有名な名言をご紹介。
「快楽とは苦痛を水で薄めたようなものである」
マルキ・ド・サド
おおう・・・。
自分はMだと思っていたけど、まだまだ素人でした。
サド侯爵、すみませんでした。
それでは、今日はこの辺で~また~